「55・10」ダイヤ改正と「夜行ちどり」

 6月号に「列車追跡リバイバル」として再録した「暁に散る夜行ちどり」は、国鉄時代の1980年(昭55)10月1日に実施されたダイヤ改正時に廃止された急行<ちどり>のレポートで、ダイヤ改正直前の時期に取材したものです。

 中国地方には山陽線と山陰線を結ぶ横断路線と中国山地を縦断する路線が交錯しており、現在は智頭急行線ルートと伯備線、山口線以外は優等列車が運転されていませんが、以前は各線に気動車準急・急行が設定され、途中で分割併合を行いながら主要都市間を結んでいました。急行<ちどり>もその一つで、芸備線~木次線を経由して広島と松江を結んだ列車です。

 このレポート自体すでに30年前の記録ですが、記事ではわずかな数の乗客とあるものの実数は数十人という単位で、中国山地の漆黒の山間を走り抜ける夜行列車にこれだけの利用客が乗っていたことに感慨深いものがあります。芸備線・木次線経由の広島~松江間は200km余りで、今日なら車でも3時間もあれば行けそうな距離ですが、当時の<ちどり>は5時間前後を要していました。その距離感からいえば夜行運転もうなずけるものがありますが、それでもこの路線での夜行列車の運転は意外にすら思えます。急行<ちどり>は夜行のほかに昼間の列車も 2往復あって、時刻表からも広島・松江と沿線の町との行き来などにも利用されていた様子がうかがえます。しかし、このダイヤ改正では利用が少ないという理由で夜行1往復が廃止ということになりました。

 1980年10月のダイヤ改正は当時「減量化」ダイヤ改正と言われ、国鉄の経営再建に資するよう効率化と減量化を進めた特徴的なダイヤ改正でした。その中心は貨物輸送にありましたが、夜行列車や急行列車の一部廃止など旅客輸送にも減量化の方向が見られます。東京-西鹿児島間の寝台特急<富士>が宮崎止まりとなったのもこの改正です。同じような条件のローカル線について現在の輸送状況をみると、この間に鉄道輸送の実態と役割が大きく変化したことがわかります。その背景と経緯を検証することが、今後の鉄道を考える上でも意味があるように思えます。

(鉄道ジャーナル2010年6月号 「編集後記」より )

コメントは受け付けていません。